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東日本大震災より2年を経て 2

先日から始めさせて頂いております、東日本大震災より2年を経て。
第二回目の記事を書かせていただきます。


2年が経過したこの時に、さらに復興へ繋げる為、未来への光になるように、弊社では数回にわたり、当時の様子を弊社隊員から聞き、掲載していきたいと思っております。
「当時どんな気持ちで仕事をしていたか」、「今、どんな気持ちなのか」、「あれからどんな事が変わったのか」等様々な事を載せさせていただきます。




【今後の文章には東日本大震災直後の様子が文章に含まれている場合がございます】




<警備員B 30代 男性> 震災時、私はその頃、まだあけぼの警備ではなく、タクシーの運転手をしておりました。 思いおこせば2011年3月11日


その日も普段どおりに勤務をしており、昼休みに宮城野区の公園におりました。
ラジオからの緊急地震速報と共に自分の車が大きく左右に揺れ、慌てて車外に出ました。
周りのビルからはなんとも言えない地響きがうなり、歩いていた方々も、道路にうずくまったり立ちつくしていらっしゃる方もいたりと様々でした。


私は揺れが収まった所で車を走らせました。
信号は止まり、駅前のビル郡から出てこられた方で車道はパニックになっておりました。

そんな中、男性のお客様をお乗せし、仙台空港へ向かう事になりました。
車を走らせている途中、「この地震で飛行機が飛ぶのか?」と急に心配になり、会社に無線を入れました。
会社からはやはり「飛ばないであろう」との答えが返って来たので、お客様に説明し、お客様が宿泊されていたホテルまでお送りさせて頂きました。


まさか、あの後空港に津波が到達していたとは・・・・・
その事を知ったのは、その後乗車されたお客様の、ワンセグでみた映像でした。

塩釜、多賀城、汐見台と、震災後の数日間は沿岸部へお客様をお乗せする事が多く、中には津波から逃げ、雪の降りしきる中、外で恐怖の一夜を過ごされた女性もいらっしゃいました。
言葉にならない状況を見て、眠れない日々がしばらく続きました。


食料やガソリン、またコンビニに行ってもほとんど商品が無かったのですが、知人やドライバーからの差し入れにより、生活は助かっておりました。
また、自分の恋人と連絡が取れず、避難所を探し回っていました。

9日間後にようやく恋人と連絡が取れ、無事を確認出来ました。
その後、人生の伴侶となり、一緒に暮らしております。



東日本大震災により、多くの尊い命が一瞬にして奪われ、大津波に飲まれ、未だに行方不明の方がおられます。
亡くなられた方のご冥福を願わずにはいられません。

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